山下としろーの軌跡。

歪曲した解釈による弊害

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山下としろー

 

 

どうも、山下です。

 

 

ブログ記事は久しぶりです。

 

とりあえずしんみりパソコンの前にじっくり座ってタイピングする程の時間を確保できないという状況が続いてやっとこそ書けている状況であります。

 

 

人生とは色々ありますなーっとね

 

 

そんなことはどうでも良くて今回は、解釈について書こうと思います。

 

 

ほんとこの言葉は正直嫌いな類いです。

 

 

何でかって?

 

 

それは、解釈解釈とか言って甘っちょろい自己暗示で自己催眠かけて腑に落とすような奴を知っているからですね。

 

 

はい、今回は中々辛口の記事になろうかと思います。

 

 

まーいつも辛口ではありますけど。

 

 

てことで、解釈ってことですけど

 

 

この解釈の定義はそのままですね。

 

 

どう自分の中に腑に落としやすいように噛み砕いて自分なりの方法で理解するか?

 

ってことです。

 

 

ようは、

 

◯◯をしなさい!

 

 

って目上の人から言われたときに

 

 

(あーこれは、こういう意図があって言っているんだなー)

 

 

って内容を解きほぐして自分の中で整理するってことです。

 

 

これ自体は全然良いんです。

 

 

解釈というのは、ぶっちゃけかなり重要ですし

 

 

この解釈のやり方でその人の真価が問われると言っても過言ではないからです。

 

 

ただそれだけにこの解釈を間違った使い方のままそれを人に教えている奴を俺は許せないんですよね。

 

 

間違った使い方を自分だけに使っているのなら全然構わないんですが、

 

それをあたかも崇高なメンタルを整える小手先のテクニックとして教えていることが俺は許せないってことです。

 

 

 

なんと言えばいいんですかね、

 

 

解釈力ってぶっちゃけ自己啓発とか自己催眠とか自己暗示とほぼ同じようなものです。

 

 

というか一緒です。

 

 

例えば、赤いリンゴが机の上にあるとして

 

「これは青いリンゴです」

 

 

と言われたらあなたならどう解釈しますか?

 

 

 

「いやいや赤いリンゴですやん」

 

「うむ、微妙に青くもあるような赤いリンゴだから、まー青いリンゴでもある」

 

「まー赤くても青くてもリンゴはリンゴだからまーどっちでもいい」

 

 

こんな三通りの回答をしたとしましょう。

 

 

これらは、全て自己啓発でもあり、自己催眠でもあり、自己暗示でもありますよね?

 

 

だって、机に置いてある赤いリンゴに対して

 

「これは青いリンゴです」

 

 

と言われたあと、本人が自分なりに考えて

 

 

机に置いてある赤いリンゴという事実と「これは青いリンゴです」と言われた事実を結びつけようと

 

した結果上のように

 

「いやいや赤いリンゴですやん」

「うむ、微妙に青くもあるような赤いリンゴだから、まー青いリンゴでもある」

「まー赤くても青くてもリンゴはリンゴだからまーどっちでもいい」

 

 

 

という解釈を生み

 

 

それらを、自分の中に腑に落とすということをしたという。

 

 

この腑に落とすということが、俺が言っている自己啓発とか自己催眠とか自己暗示と一緒だということです。

 

 

 

なので、解釈力というか解釈ってのは

 

大本は、自己啓発や自己催眠や自己暗示でもあるということです。

 

 

解釈したことをそのまま脳みそに刷り込ませるのでね。

 

 

 

ということはですよ

 

 

この解釈ってのは、自分への催眠術みたいなものだということです。

 

 

 

俺が1番気にしているのはここの部分です。

 

 

末恐ろしいことです。

 

 

まず、解釈力ってのが自分への催眠術だということを知っておかないとえらい目にあいます。

 

 

 

俺も昔は、解釈解釈~♪

 

 

って思って、教えて貰った通りの解釈の仕方をしていた時期がありましたが

 

今考えるととんでもない事です。

 

 

 

まず、解釈ってのは大きく分けて2つあります。

 

 

1つ目は、自分に関係のある解釈

 

 

2つ目は、自分以外に関係のある解釈

 

 

 

上で出た赤いリンゴの話は、2つ目の自分以外に関係のある解釈にあたります。

 

ようは、どう捉えようとどうすることもできない範疇にある事象ってことです。

 

 

はい、ちょっと難しくなりましたが

 

 

簡単にいえば、人それぞれの考え方がありますよーって部分です。

 

 

ふむ、説明が難しい。

 

 

上のリンゴの話で言うところの

 

 

机の上にあるのは赤いリンゴです。

 

 

と言っているけども、万人が万人赤いリンゴと思うわけがないよねーってことです。

 

 

人それぞれ体の作りや顔の形や声帯や骨の大きさが違うように

 

人の捉え方も千差万別だよねーということです。

 

 

 

これが上で言っている2つ目の自分以外に関係のある解釈にあたる部分です。

 

 

もっと深掘りすると、自分以外のところで考えが帰結するような類いの解釈ということです。

 

 

上のリンゴでもある通り、最後に戻ってくるところが自分ではなくあくまで”リンゴ”に関することで終わっているということです。

 

 

 

1つ目は、自分に関係のある解釈

 

2つ目は、自分以外に関係のある解釈

 

 

これだと

 

1つ目は、自分に関係のある解釈←最後自分に帰結する

 

2つ目は、自分以外に関係のある解釈←最後自分に帰結しない

 

 

ってな感じになります。

 

 

 

でです、

 

 

やっと本題の本題に入りますが、

 

 

俺が今回言いたいのは1つ目の、自分に関係のある解釈についてです。

 

要するに、最後自分に帰結するような類いの解釈についてだということです。

 

 

 

2つ目のやつは、どう論議しあったところで

 

人それぞれ色眼鏡は違いますし、脳みそが違うのでそこを言っても仕方ないですし

 

俺はそれでいいと思ってます。

 

だって、そこが一緒だと何も面白くないですからね。

 

ドッペルゲンガーしかいない世界程面白くないものはないですから。

 

 

 

 

 

てことで、やっと本命の本題です。

 

 

 

この

 

自分に関係のある解釈←最後自分に帰結する

 

 

って何?

 

 

ってことですが、例えば

 

 

テストで80点以上を取るという目標を掲げて5日後の試験に向けて毎日徹夜で必死に勉強をしていたとします。

 

 

そのときに、夜中の0時過ぎにふと眠くなったとします。

 

 

この時に頭をよぎるのが”自分に関係のある解釈←最後自分に帰結する類いの解釈”ということです。

 

 

例えば、

 

「あー眠いから寝よう」

 

も自分に関係のある解釈ですし、

 

「あー眠いけどもう少しだけ頑張ろう」

 

も自分に関係のある解釈です。

 

 

まっざっくり言うと、解釈したことが自分への行動なり思想の根本となり得る事象になることが、自分に関係のある解釈←最後自分に帰結する類いの解釈だということです。

 

 

もう一回上の例に戻ります。

 

 

夜中の0時過ぎにふと眠くなりました。

 

「あー眠いから寝よう」

 

「あー眠いけどもう少しだけ頑張ろう」

 

 

こう解釈をしたとします。

 

 

はい、ぶっちゃけどっちの解釈も正しいです。

 

というかどっちでもいいしどうでもいいです。

 

 

はっ?

 

それだと何が間違っているんだよ!ってことですが

 

 

だって、どう解釈をしようと本人の勝手だからです。

 

 

ただです、

 

 

ただ、その本人の解釈の仕方が本人の意思とかけ離れた乖離した解釈をした場合を俺は問題視しているってことです。

 

 

上の例で言うと

 

 

夜中の0時過ぎにふと眠くなりました。

 

「あー眠いから寝よう」

 

「あー眠いけどもう少しだけ頑張ろう」

 

 

 

ってのは、眠いという既成事実(身体からでたサイン)に対して

 

それを認めて、認めた上で寝るなり頑張るなりの解釈をして行動をしています。

 

 

 

これが俺が思う正しい”自分に関係のある解釈”のやり方です。

 

 

だって、眠いのは事実です。

 

 

眠いってのは、体なり脳みそなりから出た「休みなさいよ!」ってサインみたいなもんです。

 

それを認めた上で、「じゃあ寝よう」ってのもオッケイですし

 

「じゃあ眠いけどコーヒーでも飲んであと一時間ぐらい頑張ろう」

 

ってのもオッケイだということです。

 

 

 

そこは人それぞれです。

 

 

 

で、俺が1番問題視しているし、俺も間違ってそのやり方をやったというのが

 

 

上の例で言うと

 

夜中の0時過ぎにふと眠くなりました。

 

 

「勘違い、勘違い。俺みたいなやつが眠くなるわけないやん」

 

とか

 

「はいはい、まー俺は眠くないんやけどまー今日だけ早めに寝るってことにしとこうか」

 

 

まーこんな感じに解釈するという。

 

 

例が極端過ぎて凄く説明しづらいんですが

 

ようは眠たいという既成事実に対して

 

それを否定した上で解釈をするという。

 

 

 

正直こう書きながら非常に怖くなっているんですが、これが俺が言う間違った解釈ってやつです。

 

 

 

ようは、事実に対して歪曲し解釈するという。

 

 

 

言っときますが、解釈の本筋は

 

 

真に受け入れる

 

 

ってことですからね。

 

 

 

これがない解釈は、ただの言い訳や屁理屈でしかないです。

 

 

 

ちょっと上の例は極端なので、もっと身近でポピュラーなやつでしたいと思います。

 

 

そうですなー

 

 

本人が本当はやりたくない仕事を例えばクレーム対応を100件終わらせなければならないという状況があったとして

 

そういった時に間違った解釈、ようは歪曲した解釈の場合をすると

 

 

「よしよし、クレームは良いことなんだ!クレームは会社の為になる為のものだからクレームを貰ったら感謝感謝!よーし頑張るぞー!」

 

 

こんな解釈が間違っていると言っているってわけです。

 

 

まーこれには異論がある人もいるかと思いますが、

 

ここで言いたいのは、”本当は本人はやりたくないと思っている”って部分です。

 

ここが重要!

 

 

逆に、クレーム対応をやりたくないって思ってなければ全然いいんですけどね。この解釈でも。

 

 

 

じゃなくて、やりたくないって本人は思っているのに

 

「よしよし、クレームは良いことなんだ!クレームは会社の為になる為のものだからクレームを貰ったら感謝感謝!よーし頑張るぞー!」

 

 

っていう解釈をすることは間違いだぜってことです。

 

 

 

これが俗にいう自己との乖離ってことです。

 

 

自己との乖離による弊害は、まー色々とあるんですが1つに統合出張症に繋がるってことですね。

 

 

こういうのがあるから、テレビやネットでもたまに見る

 

「ポジティブ・シンキングの危険性」

 

的なタイトルで取り上げられたりしているんですよね。

 

 

 

俺もポジティブ・シンキングってのは大っ嫌いですね。

 

 

あんなん偽善者が言うやつやん

 

 

って思ってますから。

 

 

人ってのはそう崇高な生き物でもないですからね。

 

辛い時は辛いし、痛いのは痛い。

 

無理なものは無理だし、出来ないことは出来ないんでね。

 

 

 

それを、何でもかんでも解釈で歪曲し腑に落とすのは愚の骨頂ですぜってことです。

 

 

そういうことをしていると、自分の事を弁護する為だけに事実を歪曲し解釈する癖がどんどん付きますぜってことも合わせて言いたいですね。

 

 

例えば、今日の夜の7時までに書類を提出しなければならないという状況に対して

 

本当は全然書類ができてなくて、その理由が自分の能力が足りてない事と早めに書類に取り組まなかった事が理由なのにも関わらず

 

 

「俺はあえて7時までに提出をサボるという事をすることによって上司に怒られるが、怒られることによって免疫力を作り、さらにメンタルに負荷をかけることによって成長してしまう。だからこの書類の提出をサボるという行為は後々自分に多いに役にたってくる!」

 

 

こんな意味の分からない解釈をするようになります。

 

 

これは、マジ話です。

 

 

 

問題点のすり替え程、人の成長に害を成すものはないです。

 

 

ここまで、書いてどうですかね

 

 

如何に解釈が重要か?

 

そして、その解釈が歪曲した解釈なのか?

 

それとも、真に受け入れられた解釈なのか?

 

 

 

でその人の成長に大きく関わってくるのかってことが。

 

 

 

だから、俺は思うんですよね

 

 

何でもかんでも解釈をすればいいってことはないと。

 

 

 

俺がこういった記事を書いたのは、

 

解釈は重要!解釈は重要!って教えられてきたけど、本質のところを全く知らない人に教えて貰っていたってことです。

 

 

 

ただ正直俺も悪いです。

 

 

俺も、その時もっと深く考えて実践しなかったからですね。

 

 

だから、こうやって今書いているんですが、

 

解釈が重要なことは俺も分かります。

 

 

ぶっちゃけ偉人達はこの解釈力が飛び抜けています。

 

 

例えば、キングダムでも有名な秦の始皇帝の政なんかは

 

マンガでは、色々と美化して書かれていますが、残酷なこともしています。

 

普通に秦を良くしようとした人達を平気で殺したりしています。

 

そういった時の解釈が「お前を殺せば回り回って秦の為になる」ってな具合の解釈で殺したりしてます。

 

 

 

ここら辺の説明をしていると長くなるので省きますが、

 

このように解釈力ってので本当にその人の真価が問われます。

 

 

昔、書いた記事に自分への質問がその人の人生の質になる的なことを書いたんですが、

 

あーこれですね

 

意識の高さに比例する人生の質

 

 

これも似たようなもんです。

 

 

解釈の仕方が、そのままその人の人生の質になるってことです。

 

 

 

歪曲して解釈をすれば、歪曲した人生になるし。

 

自分を弁護したような解釈をすれば、全く成長の伴わない人生になるし。

 

逆に、真に受け入れた解釈をすれば、そのままその解釈が人生の糧になるし。

 

 

という風に、最後のやつを上の例で説明すると

 

 

例えば、今日の夜の7時までに書類を提出しなければならないという状況に対して

 

本当は全然書類ができてなくて、その理由が自分の能力が足りてない事と早めに書類に取り組まなかった事が理由だとしたら

 

「まず、今回期限までに提出できなかったのは、自分の能力がそもそもこの書類を完成させるのに足りてなかったってことと、それならそうとしてもっと早めに取り組んで無理なら無理だと上司に報告しなかったという事が全てだ。ただ、そのお陰で自分の能力の未熟さなども分かった。この事を次に繋げれるように切り替えて頑張ろう。よし、その前に上司に書類ができなかったことを伝えにいこう」

 

 

ってな具合の解釈が本当のところの真に受け入れた解釈です。

 

 

 

 

解釈ってのは要するに、

 

 

ありのままを受け入れて腑に落とすってことが前提だということです。

 

 

なので、

 

 

現状を把握する→ありのままを受け入れる→解釈する

 

 

 

んーこんな感じですかね。

 

 

まー俺は、いつもこんな感じで解釈してます。

 

 

 

ということで、長くなりましたけども間違った解釈ってのは本当に害でしかないです。

 

 

それだけは言っときます。

 

 

なので、痛みも伴いますがありのままの事実を受け入れる解釈ってのを心がけてほしいなと思います。

 

 

てことでそれでは!

 

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